■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記20章3~17節(抜粋)

★あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

■O:今日のコラム
私が自動車教習所に通っていたときのことです。路上教習中、助手席に座っていた教官が手を伸ばしてハンドルを掴み、「左に寄り過ぎですよ」と言いながら、直してくれました。そのとき、教官が言った言葉が今も忘れられません。
「あなたはガードレールを見ていません。見ていたら、あんな風には走れませんよ。」

十戒は、言わば私たち人間が生きてゆく上で、私たちを正しく導くガードレールのようなものです。十戒を逸脱するならば、人生で崖から転落する大事故に遭うでしょう。そうならないために、私たちは日々「十戒を見続ける」ことが重要です。

律法と福音の対比の中で、私たちは律法を行うことによっては神の前に義とされず、ただ恵みにより、イエス・キリストの十字架の贖いを信じる信仰によって義とされ、救われます。これが福音です。ですから、聖書は「律法は私たちをキリストへ導く養育係」(ガラテヤ3:24)であると言っています。

では、キリストが来られた今は、律法は無効となったのでしょうか?いいえ。イエス様は「わたしは律法を廃棄するためではなく、成就するために来た」(マタイ5:17)と言われ、「天地が滅びるまでは律法の一点一画もすたれない」(マタイ5:18)と言われました。

十戒は父なる神様の心です。天の父は、ご自分以外のものを神として生きる生き方に堪えられません。父母を敬わない人、結婚が軽んじられ、性的に乱れた社会、盗みや殺人や偽証、むさぼりが横行する世の中は堪えられないのです。

この父の心、父のご性質は、御子イエス・キリストをこの世に送り、贖いの業を完成された後も、変わることはありません。それどころか、イエス様は、父の心を受け取って、さらに高い次元で十戒をお教えになりました。それが山上の垂訓です。(マタイ5~7章)

ですから、私たちクリスチャンは、「イエス様を信じて救われたから、もう十戒は関係ない」ではなく、救われた者だからこそ、父なる神様を愛して、「父の願いにかなう生き方をしよう」と、日々、十戒を見つめて生きるべきであります。

また、十戒は私たち人間が生きるべき「本来の姿」を示しています。冒頭に記した通り、十戒を踏み外すならば、私たちは人生で大クラッシュに遭うでしょう。ひとつ例を挙げます。

「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:27~28)

イエス様は十戒を、行為にとどまらず、心の中まで見張るよう、お教えになりました。この御言葉を「性欲の否定」と受け取る人がいますが、それは誤りです。そもそも「姦淫の罪」とは妻以外の女性、夫以外の男性と性的関係を持つことを指し、夫婦の性的交わりは姦淫ではありません。イスラエルの民がヤハウェを礼拝することは正しいことでしょうか?、、、もちろん正しいことです。では、バアルを礼拝することは?、、、、これは憎むべきことであり、偶像礼拝であり、そして聖書はこれを「姦淫の罪」と言っています。

ですから、先のイエス様の御言葉は既婚男性に対して語られた戒めであると言えます。そして、この戒めは、一般に思われているほど荒唐無稽なことではありません。イエス様は我々に「性欲をなくせ」とおっしゃったのではありません。もしそうだとすると、我々は「人間ではないエスパーか、何者か」にならなければなりません。神はそんなことを求めてはおられません。

あるいは、そうなれないから「お前は罪人だ」とか、「だからキリストを信じろ」とか、そんな手を使ってまで信者を増やそうとする、、、神様はそんな姑息な方ではありません。この戒めは、実は祝福された結婚生活を送るための秘訣なのです。つまり、性的ポテンシャルは、自分の妻以外には使うな、という戒めです。

「あなたの泉を、外にまきちらし、水の流れを、ちまたに流してよかろうか。…あなたの泉に祝福を受けさせ、あなたの若い時の妻を楽しめ。彼女は愛らしい雌じか、美しいしかのようだ。いつも、その乳ぶさをもって満足し、その愛をもって常に喜べ。わが子よ、どうして遊女に迷い、みだらな女の胸をいだくのか。」(箴言5:16~20 口語訳)

既婚男性の方々にお訊ねします。自分の妻以外の女性をジロジロと「性の対象として見る」などということは、たとえ心の中であったとしても、恥ずべきことではないでしょうか?そして、そういう誘惑が来たときに「あぁ、いけない、いけない」と自ら避けることは(実際にやってみればわかりますが)それほど無茶な戒めではありません。そして、これは実際に取り組んでみればわかりますが、夫婦関係が祝福され、守られます。性的誘惑、性的刺激が蔓延している現代に生きる我々だからこそ、実に「ありがたい戒め」なのです。

ところが、このイエス様の戒めを、はなから「実行不可能な戒めだ」と決めつけて、「俺は実行できないけど十字架の赦しを信じているから大丈夫さ」などと無視していると、この御言葉の恵みと祝福を受け取ることができないばかりか、最悪の場合、結婚生活の破綻という、大きな人生のクラッシュに遭うかも知れません。

神は我々を苦しめるために十戒をお与えになったのではなく、本来の生き方を教えるために、十戒をお与えになりました。勿論、罪ある私たち人間は、自分の力で完全に律法を守り切ることはできません。しかし、救われた今は、義とされるためではなく、神様を愛して、神を愛するがゆえに、父の願いである十戒を守ろうと努めるのです。そのときに聖霊様は助けてくださり、祝福して下さると信じます。

■A:考えてみよう
福音の恵みを喜ぶ一方で、十戒に示されている父の心を軽んじてはいなかっただろうか?

■P:祈り
救われた者として、主を愛して、父の心なる十戒を守り行わせて下さい。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしかず 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー