■S:今日の聖書の言葉
ミカ書7章1節

★ああ、悲しいことだ。私は夏のくだものを集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れるもののようになった。もう食べられるふさは一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。

コロサイ1章6節

★この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。

10節
★また主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

■O:今日のコラム
聖書の中では、人間のことが、よく「木」にたとえられています。

私たちが「木」であるなら、私たちの「実」とは、私たちの言葉であり、態度であり、行いです。私たちの内側からあふれ、外に結ばれて、他の人たちに、あるいは、神様に、影響を与えるものです。

聖書には、創世記から黙示録まで、木や実の話が何度も出てきます。神様が人間を造られた時、私たちが、病気や傷のない、傷んだところのない、健康で丈夫な良い木となって、健やかに成長し、成熟して、神様を喜ばせ、まわりの人々にいのちを与える、甘い、良い、美味しい実を、たくさん結ぶようになることを願われました。

エデンの園で起こった出来事は、神様につながって、良い実を豊かに結ぶようにデザインされていた私たちが、神様から離れて、善悪を知る知識の木、律法主義の木から食べることを選び、いのちを与えることのできない実を結ぶようになってしまったことを説明しています。

私たちが律法(ルール)を守って義人となろうとすることをやめて、イエス様を信じて、神様の愛につながることを選ぶ時に、再び、いのちが流れ始めます。

ヨハネの福音書8章に、姦淫の現場でつかまえられた女の話が出てきます。この話を思い出すたびに、イエス様の愛に心を打たれます。

罪を犯したことのないイエス様だけには、この女を罪に定め、石で打つ資格があったのに、イエス様は、そうされませんでした。イエス様は十字架に架かられた時に、この女の人の姦淫の罪の責めと石打ちの罰の苦しみをも、代わりに受けてくださったのです。

私たちを罪に定めず、代わりに、その罪の苦しみと、罰の痛みを受けてくださったイエス様。このイエス様を見つめ、イエス様につながる時、私たちは自由になり、そして、もう、罪を犯したくなくなるのです。また、憐れみを受けて赦されたので、だれをも裁きたくなくなります。

私を愛し、赦し、自由にしてくださったイエス様が願われることを、これからずっと行っていきたい。私たちはそのように思うようになります。

実際には、また罪を犯してしまうこともあります。でも、そのたびに、罪を悔い改め、私たちを罪に定めないイエス様のもとに行き、赦しを受け、聖めていただき、イエス様を見上げると、私たちは引き上げられ、もう一度、義の道を歩み始めます。

そのような私たちからあふれて来る言葉は、親切であり、励ましと、希望に満ちています。救われた感謝と喜び、偉大な全能なる神様の子どもとなった平安で、私たちの心が満たされているので、不平や不満、恐れは小さくなっていきます。最後には締め出されてしまいます。

種から芽が出て、茎が伸び、葉が茂って、蕾がつき、花が咲き、やがて実が結ばれるように、私たちがイエス・キリストの福音を信じると、神様のいのちが私たちの中に働き始めます。

太陽の日差しのような神様の愛を浴び、神の生きた真理の御言葉の水、聖霊の水を注がれ続けるなら、私たちの内にあるいのちが成長し、成熟し、時が来て、いのちを与える良い実が結ばれていきます。

早く成長させようと、茎を引っ張ったり、葉っぱや花弁を無理矢理引っ張ることは、まったく意味がなく、むしろ、いのちを殺してしまいます。

私たちがすべきことは、ただ、福音の真理、イエス様の愛の中にとどまり、昼も夜も、神の言葉を思いめぐらし、告白し続けることです。御言葉を実行し続けることです。

■A:考えてみよう
私は神の恵みを本当に理解しているだろうか。私の中には福音の種が確かに蒔かれ、成長を始めただろうか。私は、日々、神様の日差しを受け、水を受けているだろうか。

私の内なる人、内にあるいのちの木は、主のいのちによって成長しているだろうか。いのちの種の元である、イエス様と同じ木として成長しているだろうか。私は自分でこの木を早く成長させようと、命の成長の速度以上に、無理に引っ張ったり、蕾を開こうとして、内なるいのちの木を痛めていないだろうか。

私の内にあるいのちの木は、喜びをもって、健康に成長しているだろうか。成長しているなら、必ず時が来て、実が結ばれることを、私は信じて、しっかり根につながっているだろうか。

■P:祈り
今日もまことのぶどうの木、いのちの木なるイエス様にとどまることができますように。イエス様の言葉が、私たちの内にとどまってくださいますように。
御父に祈る祈りがきかれますように。主のいのちが、私の内に働いて、実を結んでくださることを信じて感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ともこ 】

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