■S:今日の聖書の言葉
哀歌1章18節

★主は正義を行われる。しかし、私は主の命令に逆らった。だが、すべての国々の民よ、聞け。私の痛みを見よ。私の若い女たちも、若い男たちも、とりことなって行った。

ヤコブの手紙2章22節

★あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、

■O:今日のコラム
シャローム!今日も私たちは目をイエス様の血潮によって聖別して、私たちがどのように物事を見るかを主から教えていただきましょう。

哀歌は悲しい歌として捉えられることが多いかと思います。私もその1人です。哀歌を読んでいると心苦しくなるというか、とにかく否定的だなと感じてしまいます。しかし、この哀歌こそが、悔い改めの書であり、とりなしの書であり、私たちを主の道に帰らせる書であると受け取りました。

多くの場合、私たちが苦しみ、痛みを通る時、それを恥と思い、隠そうとしたり、または、その痛みや苦しみを他の人のせいにして、その傷や苦しみから目をそらそうとします。

しかし、今日のみことばで、哀歌を書いたエレミヤは大胆に国々に「私の痛みを見よ。」と言っています。なぜでしょう?答えは簡単です。自分たちの失敗から学んでほしいからです。

彼らの失敗、それは、主のみことばに聞き従わなかったこと。その結果、自分の民がとりこにされ、自分の町は廃墟となってしまった。エレミヤは、このような結果になってしまった苦しみと痛みから逃げることをせず、しっかりと見つめました。そして、そこから神様の教えを受け、悔い改めました。

今日のヤコブ書には、信仰は行いとともに働き、行いによって信仰は全うされるとあります。私たちは、主のみことばを信仰によってすべて信じているでしょう。しかし、そのみことばが成就するには、行いが伴うことを覚えたいと思います。行いによって信じたみことばが成就していきます。

そして、時には苦しみと痛みを通るでしょうが、その時には、目をそらすことなく、そこから、主が語られてることは何なのかを悟り、悔い改め、また、前に進んでいきましょう。

少し余談になるかもしれませんが、ユダヤ人について聞いたことを分かち合わせてください。ユダヤ人は新しいものを開発するとき、とりあえず、信仰をもって実験をしたり、とにかくやってみます。そして、失敗をします。うまくいきません。けど、彼らはそれらから逃げることをせず、その失敗としっかりと向き合い、そこから学び、もう一度信仰をもって挑戦し続けます。

失敗を恐れない、失敗を恥と思わない。逆に失敗を歓迎します。なぜなら、失敗から多くを学び、ますます良い方向にいくことを信じているからです。ユダヤ人たちが多くのノーベル賞を受賞しているのも、この理由が1つなのでないかと私は思っています。

今日の哀歌では、主のみことばに従わなかったゆえに起こった悲劇ですが、そこからユダヤ人たちは悔い改めを学び、主に立ち返ったので、主は彼らを自分たちの土地に戻らせましたし、神殿と町を建て直すことを神様ご自身が導いてくださいました(エズラ記、ネヘミヤ記参照)。

■A:考えてみよう
今、苦しみや痛みを通っているでしょうか?それを恥と思わないで、主が何を語っておられるのか、教えておられるのかに目をとめていきましょう。主は、私たちを義の道に導いてくださいます。
痛みでとどまるのではなく、信仰をもって、前進し続けていきましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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