■S:今日の聖書の言葉
第二コリント11章30節

★もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。

■O:今日のコラム
使徒の働き9章15節において、主はパウロの召命について語られました。

「しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人は私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。』」

パウロが主から語られたように、自分も主から「あなたはわたしの選びの器である!」と語られたいと多くの人が願うかもしれません。しかし、そのあとに続く言葉を見るならどうでしょうか。

「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」(16節)

主の選びの器は、苦しみを通らなければなりません。実際に、パウロはエルサレムへの最後の旅で多くの苦難を経験します(Ⅱコリント11:23-28節)。牢に入れられ、三十九のむちを五度も受け、石で打たれ、難船し、川の難、盗賊の難、その他ありとあらゆる苦しみに遭いました。

しかしパウロは、このような苦難の中にあっても大いに喜び、自分の弱さを誇ったのです。そうです。主は、私たちが弱いときにこそ御力を現してくださり、主の栄光は私たちが弱いときに、暗闇のまっただ中で輝き昇るのです。

「主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。」(詩篇112:4)

色あざやかで美しい陶器は、簡単に造れるものではありません。粘土を選ぶことから始まり、粘土から小さなゴミや石ころを取り除き、柔らかくなるまでよく練ります。細心の注意を払い、陶器師の手によって巧みに形造られた器は、最後の仕上げとして、窯に入れて焼かれます。このように、火によって美しい陶器が完成するのです。

聖書では、「火」を「試練」と表現しています。私たちがキリストの似姿へと変えられ、主の器となるためには、必ず試練が必要です。

主は時として、私たちの前に難しい状況を置きます。それは人の目に良いと思える状況ではないでしょう。しかし、神の視点で見るなら、それは良いことなのです。

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと私は考えます。」(ローマ8:18)

「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエスキリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」(Ⅰペテロ1:7)

私たちは、試練の中で、どちらかを選ばなければなりません。神を信頼し、神の側に立つか、不平不満を言い、サタンの側につくか。

聖書は、全ての事について感謝しなさい、と言っています。それは、良い時だけでなく、逆境の時も、です。全ての機会は、主に栄光をお返しするためにあるからです。

どんな状況においても主を愛し、神の側に立ち、神の栄光をほめたたえる時に、私たちは火を通して主の選びの器として整えられ、きよい清純なキリストの花嫁としてささげられ、天において豊かな報いを受け取ることができるのです。

■A:考えてみよう
主のゆえに弱さを誇りましょう。
主のゆえに、試練に感謝しましょう。
礼拝の場、神をあがめる場に自分自身を置きましょう。

■P:祈り
試練の中でも主は素晴らしいお方であり、主は良いお方であることを感謝します。全ての試練を通るとき、この事を通して現されるのは、神が神であり、神の義が証明されることであると信じます。どうか、全ての事に対して、つぶやかず、いつも神に栄光を帰すことを覚えさせてください。神と心一つとなり、サタンの側でなく、神の証人として立つことをいつも選び取ることができますように。試練を通して、私を主の選びの器へと造り変えてくださる主をほめたたえます。

全てのことを感謝し、全ての栄光を主にお返しし、愛する主イエスキリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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