■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第一3章18~19節

★子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。

■O:今日のコラム
ヨハネは弟子の中で最も主に愛された者とされる人です。そのヨハネが主によって語られたこと、それは神様を愛するとはみことばを守るということです(ヨハネ14:23)。

またそれは、今日の箇所のように行いと真実が伴うものであると言っているのです(今日の箇所は隣人を愛することについての話に続いて書かれたみことばですが、本質的にとらえると、これはすべてのみことばに対して適応できると思います)。

ダビデのように踊りまわって感情的に愛を表すことももちろん主は喜ばれますが、好き勝手な自分本位の愛し方でなく、主はこう愛してほしいとはっきり教えてくださっているのです。

ではこのみことばを私たちはどのように扱っているでしょうか。

今の時代は簡単にみことばを読んだり、日曜日の集会に行ってみことばを聞くことができます。またキャンプや集会などでもたくさんの教えを聞くことができます。しかし感情が満たされて、それで満足してはいませんか。

その教えを聞き何か良い気持ちになり、自分を満たすためのみことばの取り入れ方をしてしまう弱さが私自身にこそあることを思わされます。これは自分主体の神様の愛し方であることを示され取り扱われている最中です。愛したいと言いながら結局は自分のために歩んでいるのです。

私たちはこのみことばを頭や心の領域より深く、霊の領域で悟っていく必要があるのです。霊の領域でないとみことばを悟れないのです。なぜならみことばは霊によって書かれているからです。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)

そして感情のレベルでなく、従順することをもって真に神様を愛することができるのです。

「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存知だからです。」(Ⅰヨハネ3:20)

確かに従順する中で私たちの心は伴わず、葛藤もやりたくない時もあるでしょう。しかし、良い時だけ、必要な時だけみことばを持ってくる歩みではなく、むしろみことばに私たちが入っていく、みことばの基準に私たちを合わせていくのです。それこそ、みことばと一つとなる、花嫁として神様を愛する者であると思います。

最後にこのことを覚えます。私たちは神様を愛したいからみことばを守りたいと思いますが、結局私たちがそのみことばによって守られ本当の幸いへと導かれるのです。どんなに神様のためにと思っても、主はそれよりもはるかに私たちを愛してくださっているのです。

そして愛することすらも自分ではできないため、神様は助け主なる聖霊様を送ってくださり愛することができるように助けてくださるのです。

このどこまでも深い神様の愛と大きさに心打たれ、感謝せずには、ほめたたえずにはいられません!私たちの神様はどこまでもどこまでも良い神様です!

■A:考えてみよう
・感情のレベルでみことばを受け取ることはないでしょうか。頭や心でみことばを悟るのでなく、霊の領域でみことばを悟っていくことができるように求めましょう。みことばは霊ですから、みことばを読む際に絶えず知恵と啓示の御霊を歓迎していきましょう(エペソ1:17-19)。

・自分にみことばを持ってくるのでなく、私たちがみことばに合わせていくことができるように、感情が伴わなくても、今与えられてるみことばを握り、従順していく決心を今日も主の前に捧げましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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