■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書23章28節

★そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

■O:今日のコラム
今日の箇所は、イエス様が律法学者とパリサイ人の偽善に対して、「わざわいだ。」と非難している箇所です。この章では8回も「わざわいだ。」と叫んでいます。それほど「偽善」という罪は神様を悲しませることが分かります。神様はうわべを見るお方では無く、心を見られるお方だからです。イエス様は律法学者やパリサイ人だけではなく、私たちクリスチャンに対しても語られています。

私自身、日々の悔い改めの中で、一番示されるのが「偽善」の罪です。自分自身、律法学者やパリサイ人と何ら変わり無いことに気づかされます。立派でも無い自分を何か、立派であるかのように見せようとしてしまっている性質があることに気づくのです。昔はそのことが全く分かりませんでした。しかし、悔い改めを実践し始めてから、どんどん自分のうちにある偽善の性質が明らかにされていくのです。イエス様はマタイ5章において次のように語っています。

「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」(マタイ5:20)

山上の垂訓は私たちの心の中の領域にフォーカスしています。イエス様は私たちの心が神様の基準に達しているかどうかを見ておられます。律法学者やパリサイ人は心ではなくうわべを良く見せようとして努力しました。私たちの心はどんなに努力しても自分の力で変えることは不可能なのです。そのために神様が私たちに完全な義の道を用意してくださいました。イエスキリストの十字架の義です。

私たちはイエス様の血潮を宣言して悔い改めを実践していくより他は義を得る道がありません。この偽善の罪と戦うためには、聖霊様により御言葉の光によって自分の心が照らされなければなりません。罪により盲目になっているので、自分が罪を犯していることにすら気付けないのです。次の段階として聖霊様が私たちの罪に対して深い悲しみを与えて下さいます。(第二コリント7:10)

自分の感情の領域で悔いるのではなく、聖霊様がこの罪に対して悲しんでおられることを体験することになります。そこから熱心に血潮を宣言して悔い改め始めるのです。人には見えない自分の心の中の領域のことなので、非常に忍耐がいる作業です。私自身、もっと深く悔い改めを体験し、まだまだ気づいていない領域の罪を聖霊様によって明らかにして頂きたいと切に願います。

一時、深い悲しみがやってきますが、悔い改め、血潮を宣言すると、今まで経験したことのない恵みと聖霊様の喜び、主の豊かな臨在を味わうことになります。イエス様が命懸けで開いてくださった悔い改めの道を、私たちの人生を通して進んで行きたいと思います。
私たちの内側から神の御国が解き放たれていくことになるでしょう。

今日も一日、皆様の歩みがイエス様の血潮で守られ、豊かに祝福されたものであることを宣言しお祈りいたします。

■A:考えてみよう
一日の中で主の前に静まる時を持ち、自分の心が主の前でどのような状態なのか聖霊様に教えて頂きましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

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