■S:今日の聖書の言葉
列王記第一8章12節(列王記第一7章)

★『そのとき、ソロモンは言った。「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。』

■O:今日のコラム
主は暗闇の中に住まわれる、とあります。主は暗闇が好きなわけではありません。ただこの仕切りがなければ(イザヤ59:2では罪が仕切りであるといっています。ヨブ22:13〜14ではそれは暗闇であるといっています。イエス様が十字架にかけられる時にも地は暗闇で覆われました。)、主に近づくなら私たちが死んでしまいます。この暗闇は私たちのためなのです。また、この栄光の雲(マタイ17:5では栄光に輝く領域に入れられた3人の弟子たちは雲に包まれました)の中に入るなら、きよい祭司でさえ立っている事が出来なくなります。
しかし、私たちは、この栄光の雲の中、主の御前に堅く立つ花嫁として召されています。主の栄光を見て、栄光の領域で仕える事ができる者としての招きを受けているのです。自分を捨て、自分の使命となる御言葉を担って、イエス様について行きましょう!その時に私たちは、イエス様の栄光を見るのです。

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。』
(ヨハネ12:24〜26)

自分を捨てて、イエス様について行く、キリストの弟子、キリストのしもべは、イエス様のいる所にいることになります。イエス様がいる所とはなんでしょう?

『父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。』
(ヨハネ17:24)

■A:考えてみよう
主の臨在、主の栄光を求めましょう。
自分を捨て、日々自分の十字架を負ってイエス様について行き、イエス様に仕え、人々に仕える者の受ける報いを信じましょう!

■P:祈り
イエス様。自分を捨て、日々自分の十字架を負って、あなたについて行きます。ただあなただけを報いとし、この道を歩み、この歩みをもって礼拝を捧げさせてください。私のからだを生きたきよい備え物として捧げます。そこにある、報い、私たちの受け継ぐ栄光、私たちの譲りの地であられるイエス様。あなたを求めて、全てのものを捧げる事ができるように、聖霊の火で私を燃やし続けてください。

【 まじまこ 】

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