■S:今日の聖書の言葉

エレミヤ書10章3節〜5節

★「国々の民のならわしはむなしいからだ。それは、 林から切り出された木、木工が、なたで造った物にすぎない。それは銀と金で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられる。それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。」

使徒の働き10章28節

★「彼らにこう言った。『ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。』」


■O:今日のコラム

人は何故、「宗教」にはまり、また偶像を拝むのでしょうか?

自分が祝福を受けられ、守られ、幸せになれるために、同じ礼拝行為位を繰り返しているだけで良いからです。木や石や人の手によって作り出された物を拝む行為は、毎日か週一か、月一、年に一度か…etcとにかく決まったこと(伝統を)繰り返しやり、それが礼拝となります。「繰り返しやれば良い、伝統通りにやることが重要」という考えは、宗教の霊の支配によって起こります。

私たちキリスト者は、決して木や石や人の手によって造られた物、偶像を拝むことはしませんが、それと似たような状況に陥る危険があります。

「毎週日曜日に礼拝に参加して、同じことを繰り返しておけば、自分は祝福される」と無意識に思う時にです。
もちろん主日礼拝を守ることは何にも増して大切なことであり、決して欠かしてはならないことです。けれども、もし、日々の生活の中で私たちが主との新しい出会いを求めず、さらに自分の内にキリストのご人格が作り上げられることを求める心がなければ、私たちの毎週の礼拝が宗教の霊に支配される恐れがあります。

イエス様を救い主として受け入れた日から、キリストのご人格が私たちの内に日々、大きくなっていっているでしょうか。自分の人格の内に、昨日より今日、更に多くの御霊の実(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)が実るようになっているでしょうか?人は年をとれば、それなりに性格が丸くなったり、穏やかになったりするでしょう。けれども、キリスト者はそれを超えて、年齢にかかわらず、御霊の実が実るようになることが出来るのです。

どうぞ誤解しないで下さい。決して、完璧にならなければならない、というわけではありません。また、隣りの誰かと比較する必要もありません。一人ひとり、主に任されていることは違います。そして、一人ひとりの信仰の段階の違いも主は充分に理解しておられます。

主が求めておられることは、私たちが周りの人から「すごい」と思われるような、立派な人になることではありません。(もちろん、それも素晴らしいですが)
まるで家が少しずつ建て上げられていくように、自分の内の「古い人、罪の性質」を死に渡し、その代わりに「新しい人」が建て上げられ、私たちがますますキリストの身丈に達していくことを主は願っておられます。

ペテロにとって異邦人の家に訪れるということは、今までの自分の常識、今まで持ってきた考えに反するものでした。『異邦人の家を訪れると汚れる』という、言わば彼の中の伝統がありました。けれども、主の新しい語りかけにペテロは大胆に応答しました。

私たちの中には「昨日と同じことを繰り返す」ということに、安心をおいてしまう弱さがあります。もちろん、毎日の仕事、勉強、家事においては、日々こつこつと忍耐をもって繰り返すことがとても大切であり、主の目に尊いことであります。

けれども、私たちの信仰生活、霊的成長、礼拝において、そうであっては「新しい人」は退化してしまいます。私たちの古い人、罪の性質がいつまでも悠々と自分の内であぐらをかいてしまい、日々の生活の中で、勝利の喜びを得ることはなかなか難しいでしょう。

私は以前よりも更に多くの御言葉を読むことを楽しんでいます。けれども、その御言葉の多読を始めてしばらくした頃、自分が「沢山読む」という繰り返しに安心してしまっていて、その中から、御霊の語りかけを受けることがおろそかになっている自分に気付きました。例え何章みことばを読んだとしても、みことばに照らされて自分が悔い改めることがなければ、また新しく主のご人格に生きることがなければ、なんと虚しいだろうと、恐れさえ覚え、主が気づかせてくださったことに感謝しました。

御言葉を読む時に、今日、自分の内の古い性質を十字架につけ、今日、新しくキリストが形造られていくことを求めていきましょう。また、毎週の礼拝においても、幾度となく歌っている賛美であったとしても、主の新しい恵みに感謝し、新鮮な主との出会いを求め、鮮度の古い昨日の感謝ではなく、新鮮な感謝と喜びをもって歌い、主を礼拝していきましょう。

■A:考えてみよう
今日、私たちの中に主の御国の前進を留めている「伝統」、自分の霊的成長に対して無頓着にさせている「宗教の霊の支配」がないかを点検しましょう。

去年、先月、昨日の自分と、今日の自分を比べてみて、自分の内の「古い人、罪の性質」どれだけ十字架にかけられただろうか、「新しい人、キリストのご人格」が、どれくらい建て上げられているだろうか?

「あまり変化してない…」と失望しないでください。主は、私たちの「更にキリストの似姿に作り変えられたい」という願いと、努力を見ておられます。自分だけでは無理です。励まし主である御霊の助けを求め、御霊の力を受けて、さらに霊的成長を求めていきましょう。私も求めていきます!

■P:祈り
今、私の霊的成長を留めていた一切の伝統、宗教の霊の働きを、イエスの御名の権威によって打ち壊す!私の耳は日々、神の語りかけ、御言葉に傾けられ、昨日より今日、私の内にキリストのご人格が建て上げられていくことを宣言します。御霊の力と助けによって、それがなされていくことを感謝します。
教会の礼拝の中に働く宗教の霊よ、イエスの御名により、お前を締め出す!教会は、いつも新しい恵みを受けて、新しい感謝、新しい心で主に礼拝を捧げる神の民であることを宣言します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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一つのコメント


  1. より:

    砂の土台に家を建てても、嵐が来ると倒れます。宗教の霊は、良い行いを続けていながら、実を結ばないこの建物のことです。悔い改めた人は罪を犯しません。悔い改めたかどうか、は、神のみことばを守って、病を癒し、悪人を追い出し、みことばをちゃんとのべ伝えているか、他のことも守っているかで解ります。日曜にイスに50分座っているからクリスチャンなのではありません。賛美歌を3曲位歌うからクリスチャンなのではありません。イエス様はそんなことは言いませんでした。悔い改めて、罪をおかさないようになりなさいと言われました。水の洗礼を受けなさいと言われました。聖霊を受けなさいと言われました。清くありなさいと言いました。すべての命令を守るように言われました。世界に出ていき、弟子を作りなさい、と言いました。自分が弟子であると思っていても、弟子を訓練したり作っていないなら、キリストの弟子ではありません。

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