■S:今日の聖書の言葉
サムエル記 第一 1章27節(サムエル記 第一 2章)

★この子のために、 私は祈ったのです。 【主】は私がお願いしたとおり、 私の願いをかなえてくださいました。

■O:今日のコラム
通読箇所は今日からサムエル記に入ります。サウルに油注ぎ、ダビデを見出し、その他様々な素晴らしい事を行った預言者サムエル。彼はなぜそのような者になり得たのでしょうか。
もちろん、主の御声を聞いて、それに従ったというのが一番大きなことだと思いますが、その声を聞き、従えるようにした親からの影響は大きいと思います。
今日の聖書の箇所で、サウルの母、ハンナの祈りを見てもその事が分かります。

「この子のために、 私は祈ったのです。 【主】は私がお願いしたとおり、 私の願いをかなえてくださいました。」(1サム1:27)

(1)心を注ぎだす祈り
ハンナは夫のエルカナのもう一人の妻、ペニンナからいじめられていました。ハンナはいつもペニンナを見て自分と比べ、自己憐憫に陥っていました。しかし、ハンナの素晴らしいところは、それらの愚痴を人々にではなく主のもとに持っていったことです。

「ハンナの心は痛んでいた。 彼女は【主】に祈って、 激しく泣いた。 」(1サム1:10)

皆さんは心痛む事があるでしょうか。それをまず、主の前に持っていっているでしょうか。できたら、ハンナがしたように祈りの家、また教会にに来て心を注ぎだして祈ってみて下さい。主はその祈りを必ず聞いてくださいます。
私が徹夜の祈りを終え、朝になって帰るころ、ある女性が朝の祈りに来て、心からの叫びを持って泣き叫び祈っていました。何週間かそれを見ていたのですが、あるとき、聖霊様の促しがあったので「祈っていいですか?」と言って一緒に祈ると、彼女は悲しみから開放され、後に「主の本当の愛がわかった」と教えてくれました。ハレルヤ!主は必ず心から注ぎだす祈りを聞いてくださいます。

(2)諦めない心
皆さんは過去に主に願ったこと、また、もう無理だと言って諦めてしまっていることはないでしょうか。
ハンナは不妊の女でした。主ご自身がハンナの胎を閉じておられたからです。

「【主】は彼女の胎を閉じておられたが、 彼がハンナを愛していたからである。」(1サム1:5b)

なぜ胎を閉じていたかはわかりませんが、おそらく、主の時があったのでしょう。伝道者の書3章11節には次のように書かれています。

「神のなさることは、 すべて時にかなって美しい。 神はまた、 人の心に永遠を与えられた。 しかし人は、 神が行われるみわざを、 初めから終わりまで見きわめることができない。」

すべての事には神の時があります。私たちに必要なのは「主よ!いつですか!」という訴えよりも、「主よ、あなたの時を待ち望みます。それまでに忍耐する力を与えて下さい」という祈りではないでしょうか。
主の時が来たら、ハンナの胎を開いてくださったように、主はみなさんの祈りに答えて扉を開いてくださると信じます。

(3)祈る理由
もし、皆さんが教会で祈っていて、牧師先生に話しかけられたら、どのように答えるでしょうか?
ハンナは素晴らしい女性だったかもしれませんが、それ以上に正直な女性でした。祭司エリが祈っているハンナに話しかけた時、このように答えました。

「 このはしためを、 よこしまな女と思わないでください。 私はつのる憂いといらだちのため、 今まで祈っていたのです。」(1サム1:16)

ハンナの祈る理由は「つのる憂い」と「いらだち」でした。これを見て驚きませんか?普通「祈る」と言うと、なにか立派な動機や、きよい理由を考えてしまうかもしれません。しかし、主はどのような祈りも喜んで受け入れてくださいます。何か取り繕ったような祈りよりも、むしろ正直な心を持って祈る姿を喜ばれるかもしれません。
私も、息子が「お父様、私は今よりもっときよくなり、祈りとみことばに益々励み、主に油注がれたいのです」と言ってくるとうれしいですが、内心「ホントかな?」と思ってしまいます。それよりも「今日こんなことがあってさ、イライラしちゃったんだよ。祈ってもらえる?」と言ってくれた方が嬉しいかもしれません。
皆さんの祈りの動機は何でしょうか。正直に神様と向き合っているでしょうか。神様に隠し通せる事は何もありません。神様に対して自分を偽っても何の意味もありません。祈りの理由はつのる憂いやいらだちからでもいいのです。詩篇の作者も正直に心の中を神様に告白していました。
祈りを正直な祈りへとシフトしましょう。主はどのような祈りも必ず受け止めて下さいます。

(4)感謝の心
皆さんは「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について感謝」できていますか?ハンナは宮に来て心を注ぎだして祈り、祭司から祝福され、はたしてその通りに男の子を身ごもりました。普通の人なら子どもが与えられた喜びと、出産・育児の忙しさで感謝の心を忘れてしまうかもしれません。
しかし、ハンナは感謝の心を持って、乳離れした息子を祭司エリのところに感謝のいけにえを携えて連れていきました。そして子どもを主に渡し、主のもとで育てるという決断をします。
皆さんは子どもたちを誰の元で育てているでしょうか。もちろん、親がその責任を担っています。教育は学校でしょう。信仰は教会でしょうか。それらすべて必要なことですが、霊的な次元においては、主の元で子どもを育てていく必要があります。

「少年サムエルは、 【主】のみもとで成長した。」(1サム2:21b)

祭司エリの息子たちは親の言うことも聞かず、罪に罪を重ねた者たちでした。しかし、そのような中でもきよく、純潔を保ち主のみもとで成長したサムエルを支えたのは母の祈りであったと信じます。

世の中はまさにこのエリの息子たちのような状況が数多くあるかもしれません。それから子どもたちを守る手段は主のみもとに子どもたちを連れていき、主のみもとで成長させることです。

日本の未来は子どもたちにかかっています。世の中の方法を持って子どもを育てるのか。それとも主に子どもたちをゆだねて、主のみもとで子どもたちを育てるのか。どちらが安全で確実で、将来に希望を与えるか。その選択は親である皆さんにかかっているのではないかと思います。今一度、子どもたちのために祈ることをはじめましょう。

■A:考えてみよう
自分の子ども、また、霊的な子どもたちのために祈っているだろうか。私はいつのまにか、主の方法ではなく、自分のやり方で子どもたちを育てていないだろうか。主が私たちに託して下さった子どもたちを自分のものにして握りしめていないだろうか。
親の祈りは強力です。今日という日に、子どもたちのために祈る決断をしましょう。また、将来与えられる子どもたちのために、今から祈り始めましょう。

■P:祈り
愛する天のお父さん、私に子どもたちを委ねてくださってることをありがとうございます。今までこの子どもたちの命を守ってくださったのは主であることを感謝します。
しかし、子育ての中で葛藤も覚えます。困難も覚えます。自分が嫌になってしまうこともあります。つのる憂いやいらだちが私の中にあることを認めます。だから主よ、この子どもたちを私の手からあなたの御手に今一度委ねます。
私が子どもたちを握りしめていたのであれば、敵は私めがけてやってきます。しかし、主にお委ねしたのであれば、主が守り、主が責任を果たしてくださることを信じます。

今、イエス様のお名前で命じます。私に不安を持ちかけてくる悪しき力よ、今まで私に様々な訴えをしてきたお前、私は今私の子どもを神に委ねた。わたしの子どもは神の所有とされた。それゆえ、これからは私の子どもに関して何か言いたいことがあるのであれば、私ではなく神様に直接訴えろ!イエス様のお名前で命じる。イエス様の血潮のあがないによって、悪しき力の訴えは私には関係ないことを宣言する!

ハレルヤ。神様、私の子どもをあなたが守って下さい。ゼカリヤ2:5にあるように、火の城壁で主が子どもたちを守って下さい。私の子どもたちは主の御声を敏感に聞き取る耳が与えられます。そして、主の声を聞いたなら、それにすぐに従う素直な心が与えられます。
主に従う心を持って、主が権威を授けて下さった親である私の声に子どもたちは耳を傾けるようになります。私の指示に喜んで従う子どもたちとなります。主よ私にこのような素晴らしい特権を与えてくださってありがとうございます。益々親である私自身が何よりも主を愛し、主に仕え、みことばを慕い求め、祈るものとさせて下さい。その背中を見て子どもたちが私を超え、さらに高く遠くへと届くものとしてくださいますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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