■S:今日の聖書の言葉
エペソ人への手紙4章30節(イザヤ書47章)

★神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

■O:今日のコラム
ここに神の聖霊を悲しませてはいけないと書いてあります。
そうです。聖霊は悲しむんです。それは、聖霊には人格があるからです。私たちが罪の道を選び、その道を歩んでいくのであれば、聖霊を悲しませることとなります。なぜなら「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(1コリント3:16) とあるように、私たちは聖霊の宮だからです。私たちの心が聖霊の宮なんです。
では、聖霊を悲しませるものとはなんでしょう?
一つは、罪を犯すときです。聖霊は私たちの行動や態度の中にご自身を現わしたいと願っておられます。知っていて間違ったことをするとき、私たちは聖霊を抑圧してしまうのです。
二つ目は、祈りを忘れるときです。「御霊によって祈りなさい。」(エペソ人への手紙6:18)とあります。聖霊の働きには祈りが必要です。その祈りを忘れる時、聖霊は悲しまれます。
三つ目は、聖書を読まない時です。聖霊はご自身の事をもっと知って欲しいと願われています。聖書には、いたるところに聖霊の働きが書かれています。しかし、聖書を読まないと、それを見逃してしまうことになります。聖書は聖霊によって書かれました。その聖霊によらなければ聖書を理解することはできないのです。
四つ目は、世を愛する時です。キリストよりも世を愛する時、聖霊は悲しまれます。第一のものを第一にしない時、聖霊は悲しまれます。
私たちが、もしこのように聖霊を悲しませ続けるのであれば、かつてエルサレムの神殿を神様の臨在が去られたように、聖霊は私たちの心の宮から去って行かれます。パウロは、「御霊を消してはなりません。」(テサロニケの手紙第一5章19節)と言われました。
私たちは、聖霊を悲しませる者になるのではなく、むしろ私たちは聖霊を喜ばせる者でありたいですね。

■A:考えてみよう
自分の今の生活の中で、聖霊を悲しませているものはないだろうか。

■P:祈り
聖霊様、あなたを喜ばすことだけをしたいです。
イエスキリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

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