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■S:今日の聖書の言葉
民数記29章2節

★あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなさい。

■O:今日のコラム
ここでは、主への「なだめのかおり」として、「全焼のいけにえ」そしてそれにつく捧げ物として「穀物のささげもの」「注ぎのささげもの」が出てきます。これらは、主へのなだめのかおり、主にとって香りの良い、それを嗅ぐと心地良い香りの捧げ物、つまり主に喜ばれる捧げ物でした。
そして、贖いのための「罪のためのいけにえ」が出てきます。これは、神に近づくために必要な捧げ物です。

全焼のいけにえで捧げる部位は、レビ記でも読んできましたが、脂肪も含まれています。お肉でも一番美味しいところです。そして、ここで出てくる「注ぎのささげもの」は、原語では『飲み物の捧げ物』という意味が含まれ、強いお酒であったと思われます。強いお酒も、恐らくお酒を飲む人にとっては美味しいものでしょう。
私たちにとって、美味しいと思えるもの、自分たちにとっての楽しみを、少しでも自分から引き離して主に捧げるならば、それは「主へのなだめのかおり」となり、主を喜ばせることが出来ます。
旧約にたくさん出てくる「捧げる」という言葉は「近づく」という意味も持っています。私たちが主に捧げれば捧げるほど、私たちは主に近づくことが出来るのです。

愛する人が、物凄く忙しいスケジュールでありながらも、自分のために時間を割いてくれるなら、そこに愛を感じます。
経済が豊かでないながらも、愛する人が、ささやかな贈り物をくれるなら、受け取る時に喜びが沸くでしょう。

我が子が小さかった頃、母の日にいびつな形のプレゼントをくれた時、この上もない喜びが来ました。なぜでしょうか。それは、我が子が小さい手で本人なりに一生懸命作ったことを、親として分かるからです。

感謝のいけにえ、賛美のいけにえ…etc 様々ないけにえが聖書には出てきますが、「いけにえ」とは「犠牲」です。犠牲のともなわない「いけにえ」はありません。
そして、犠牲の大きさを知る時、人の心は動かされます。
まして、主は私たちが自分の楽しみを犠牲にするならば、他の人が見ても大したことないと思うような物や事柄であったとしても、主はその犠牲の大きさを知っていてくださいます。

もちろん主は私たちが楽しく喜んで歩むことを望んでおられます。何かを楽しむのは悪いことではありません。けれども、私たちは自分の肉が楽しむことを優先してしまう弱さを持っています。たった今、自分の一番の楽しみを脇において(捧げて)、主の御前で祈ること、礼拝することを優先しなさい、と迫られたら、それに応えることは出来るでしょうか?
私たちは、毎日、心の王座に誰が座っているか、自分なのか、主なのか。また、心の中に偶像がいないかを点検する必要があります。
自分の偶像を捧げるなら、解放がやってきます。

時間を主のために割くのが、面倒だと思いますか?1食でも断食が難しいと感じますか?献金に抵抗があるでしょうか?自分の趣味の一回をキャンセルして、代わりに主を礼拝する日にするのを、惜しいと感じますか?教会のために奉仕すること、自分の労力や技術を提供するのは惜しい、暇な人がやればいいし、どっちにしても、神様は愛してくださるし、そんな真面目な話はやめてくれ、と思いますか?これを読んでいて憤りすら覚えるでしょうか?
私はこれらのすべてに当てはまる人間です。自分を愛する、自己中心な者です。けれども、こんなむさぼりな者が、ちぎれるような思いをしながらも、捧げる時、忠実なる真実なるお方は、それに優る喜びと楽しみを与えて下さいます。そして、ますます御側に引き寄せて下さるのです。
こんな、ささやかな捧げ物ですら、こんなに喜んで下さるのかと、涙が出ます。

捧げる、というのは、「あげる」のとは違います。あたかも自分の所有のように感じるすべては、主から賜ったもの、主から許されているものに過ぎません。この世が与えるのとは違う平安を下さる主、主の御前には喜びが満ち、主の右には楽しみがとこしえにあります!(詩篇16:11)

今日もあらゆる「いけにえ」を携えて、主の御前に出ていき、主に近づいて行きましょう。

■A:考えてみよう
今、自分が捧げるべき「いけにえ」「犠牲」はなんだろう。私の今日の心の王座は誰が座しているだろうか?自分だろうか?
神様に「手放しなさい」と言われたら、困るものはなんだろうか?

■P:祈り
命すら与えてくださった主イエス様、あなたに犠牲払うことを惜しんできた私の心を今、あなたに向けます。
一時的な地上ではなく、永遠に続く天に宝を積む喜びを教えて下さい。この地上のものではなく、あなたを見つめる信仰を増し加えて下さい。私のベストを知っていて下さる主、それがどんなにささやかでも、それが私のもてるすべて、それが私の出来る最善であるなら、あなたが喜んでくださるから、ありがとうございます。
聖霊様、日々、私の魂の中に偶像がいないかを、見張り、また見分ける力を求めます。今日を、すべての悪から私を守る、イエス様の血潮の力を私の上に宣言します!イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

カテゴリー: マナメール

一つのコメント


  1. まな より:

    毎日のデボーションいつも理解できずインターネットで、ヒントいただく毎日
    聖書読んでもちんぷんかんぷん
    インターネットに、甘えてる私です
    民数記むずかしい
    いけにえ!特に理解むずかしい❗
    でも、わたりやすいです
    しかも、新約聖書では、イエス様の十字架で、いけにえなくなり
    よけいいけにえに、関しての理解むずかしい❗
    犠牲
    主が、よろこんでくれるんですね
    まじわり
    小さい頃の私の母へのプレゼントのお絵かきなんですね
    ありがとうございます
    デボーション初めて2ねんです
    が、旧約に、入り毎日インターネットのたすけが、なきゃ理解難しくて
    祈りをしながら、デボーションやりつづけてます

    ありがとうございました❗

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