■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書27章43節

★彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。

■O:今日のコラム
シャローム!今日も私たちは主により頼み、主の時を待ち望みましょう。

私たちが、主により頼もうとする時、主の約束を握っている時、サタンは今日の箇所のように私たちを責めてきます。

「もし、おまえが神の子なら・・・」

これは、荒野でサタンがイエス様に試みたのと同じです。サタンは私たちに対してもこのように責めてきます。

「もし、神様がおまえを愛してるなら、今、おまえを救ってくれるだろ。なのに、どうだ?おまえは祈ってるのに、全然、答えがないじゃないか。本当に神様はおまえを愛してるのか?もし、愛してるなら、今、答えてくれるだろ。」

人間もサタンも「いま」、または「すぐに」を求めます。なんでもすぐに得たい、すぐに結果をみたいと思います。私たちはそれが価値あるものだと思いがちです。

しかし、今日、私たちはイエス様の十字架をともに見上げていきましょう。

イエス様は、神の子、父なる神様のお気に入りの子として、完璧な歩みをし、私たちに神の子の歩みとはどういうものなのかを示してくださいました。

あの十字架の上で、痛みを感じる中で、周りは、「自分を今救ってもらえ。神様のお気に入りなのだから」と責められていました。それでも、イエス様は、神様の救いが今でなかったとしても、神様の時に自分を委ね、激痛と苦しみを忍耐をもって堪えました。

私たちは、よく、痛みからすぐに解放されることを願います。願うことは良い事です。イエス様も願いました。ゲッセマネの園で、イエス様は3度、神様に、この苦しみを通りたくないと祈りました。あの十字架にかかっている時も祈ったかもしれません。「十字架から降ろしてください。」と。

しかし、同時にこのようにも祈ったはずです。「しかし、あなたの御心がなされますように。」

イエス様は、今すぐに苦しみから解放されないからといって、神様を信頼することをやめませんでした。逆に、最後にイエス様は十字架で言われました。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」

神様に完全信頼、完全服従。これこそが、神の子としての生き方です。

父の御心は、イエス様を十字架から救うことではなく、十字架で死にまで苦しみ至ることでした。イエス様は父の御心にご自分を委ねました。完全に従い通したからこその、栄光の復活が主の時に起こりました。

■A:考えてみよう
苦しみを通る時、神様への信頼が薄れていませんか?
すぐに助け出されない、すぐに抜け出せないからといって、神様に疑いをもっていませんか?
神様の子なのかと自分を疑い始めていませんか?

「主の時」があります。苦しみの時にこそ、私たちは、神の子として、ますます神様を信頼して、神様の愛を信頼して、待ち続けましょう。

神様を待ち望む者に、栄光の勝利を主は用意されています。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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