■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書14章25~29節

★すると、 夜中の三時ごろ、 イエスは湖の上を歩いて、 彼らのところに行かれた。 弟子たちは、 イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、 「あれは幽霊だ」と言って、 おびえてしまい、 恐ろしさのあまり、 叫び声を上げた。
しかし、 イエスはすぐに彼らに話しかけ、 「しっかりしなさい。 わたしだ。 恐れることはない」と言われた。 すると、 ペテロが答えて言った。 「主よ。 もし、 あなたでしたら、 私に、 水の上を歩いてここまで来い、 とお命じになってください。 」
イエスは「来なさい」と言われた。 そこで、 ペテロは舟から出て、 水の上を歩いてイエスのほうに行った。

■O:今日のコラム
イエス様は公生涯の中、弟子たちと私たちに様々な不思議を見せてくださいます。今日の聖書の箇所はイエス様が水を歩かれるという奇跡を見ることができます。

私は子どもの頃、忍者に憧れた時期があり(その頃はイエス様をまだ知りませんでした)、近くの池で真剣にアメンボウを研究して、なんとかして忍者の水蜘蛛の術を得ようとしたものでした。しかし、当然の結果ですが、何度トライしてもうまくいきませんでした。

イエス様は完全な人であられましたが、完全に神でもあられるお方です。このお方に不可能なことはありません。全ての被造物はこのお方によって、このお方のために創造されたものです。ですから、水の上を歩くことなどイエス様にとってはなんでもないことでしょう。

しかし、ここでは完全に人であるペテロも同じ事を行っています。これは驚くべきことです。

ペテロはどのようにして水の上を歩くことが出来たのでしょうか。

(1)神が神であることを知る
弟子たちは夜中に水の上を歩いてこられるイエス様を見て「幽霊だ!」といいます。神に対してなんと失礼なことでしょうか!でも、本当に弟子たちは怖かったのだと思います。

イエス様はそのような弟子たちに「しっかりしなさい。 わたしだ。 恐れることはない」(27節)と言われます。ここでの「わたしだ」と言うのは、出エジプト記3章14節に書かれている、

神はモーセに仰せられた。 「わたしは、 『わたしはある』という者である。 」

という、いわゆるI am Who I am、ヤハウェという聖なる神様のお名前と同じ言葉が使われています。「全知全能の神がここにいるのだから恐れることはない」というこの上ないほどの励ましのことばです。神様はなんと優しい方なのでしょうか。

(2)ペテロに与えられた信仰
ペテロは本当にシンプルな人です。イエス様の励ましに彼の信仰がマックスになり、「自分もできる!」という信仰が湧いてきます。そこで、イエス様に「主よ。 もし、 あなたでしたら、 私に、 水の上を歩いてここまで来い、 とお命じになってください。 」 (28節)といいます。

一見、不躾な発言に見えますが、私たちは神の子どもとして、神様との親密な関係にあるなら、大胆に求めることが赦されています。

「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、 何でも与えられます。 」(マタイ21:22)

この幼子のような信仰を私たちは働かせていきましょう。

(3)私たちを呼ばれるイエス様
このペテロの信仰に応答して、イエス様は「来なさい」と言われます。これが大切です。主が「来なさい」と言われた時に一歩を踏み出すことが大切です。自分を捨て、神のことば、戒めに完全に服従し、神の命令を守る者に神の奇跡と祝福が伴います。

神を神として認め、信仰を働かせ、神の「来なさい」という声をいただくなら、私たちは大胆に進んでいきたいと思います。

また、水は聖書では「真理」「神のことば」の象徴です。この水(みことば)の上を歩むことも、神様の呼びかけと信仰が無ければ歩むことができません。切なる思いで神様を求め、道であり、真理であり、いのちに至る道へと導いていただきましょう。

■A:考えてみよう
私たちは自分勝手な歩みをしていないだろうか。神様の願いよりも自分のしたいことを優先していないだろうか。

現代の私たちは忙しいです。忙しさを理由に、第一のものを第二、第三に優先順位を下げていいものでしょうか。否。いつでもどんなときでも、神の国とその義とをまず第一に求めるのが神に従うものの生き方です。

神の国は複雑に見えますが、本当にシンプルです。神のことばを聞き、それに従うこと。それが神の国の生き方です。アダムがエデンで神と持っていた関係です。

毎日神の声であるみことばを私的解釈を挟むこと無く、素直に神のことばとして受け取り、神の基準と自分の現実のギャップを知り、神の基準に自分が達することができるよう切に祈り続けることが幸いな人の生き方です。

この後、ご存知の通りペテロは周りを見て恐れが生じ、湖の中に沈んでしまいます。しかし、イエス様は手を伸ばしてそこからペテロを救い出してくださり、船まで共に歩み、船に入った時に風がやみます。

今私たちが置かれている状況はこのイエス様と共に船に向かって歩いているようなものです。失敗することもあるでしょう。落ち込んでしまうこともあるでしょう。

しかし、そのたびに「主よ!助けてください!」と叫ぶなら、イエス様は私たちを助けてくださいます。

船は目の前にあると信じます。もう少ししたらその船に乗り込むことができるでしょう。ノアの時代のように、たった8人しかこの船に乗り込み救われるのではなく、一人でも多くの人が共に船に乗り込むことができるように願います。

まだ時は残されています。今日という日に悔い改め、第一のものを第一とする生活にシフトしてきましょう。

どんな嵐が起きても、それに目を奪われること無く、一心にイエス様(みことば)だけを見続けて、信仰を働かせて、神とともに最後の最後まで走り続けましょう。

■P:祈り
愛する天のお父さん、わたしに神のみことばが与えられていることを感謝します。このみことばが無ければ、私はどこに向かい、何をすればいいかわかりません。あなたのみことばは私の足のともしびです。
私は間違い、いつもあなたを悲しませる選択をしてしまいます。だから、あなたのみことばによって私を義の道へと導いてください。知恵と啓示の御霊によって、私にみことばの中から天の父の心を悟らせてください。

そして、あなたの心を知ったなら、そのとおりに歩めるように私に幼子の信仰を与えてください。
神が神であられることを悟らせてください。神に対する恐れを与えてください。そして、これからの歩みにおいて、自分が先走った決断や行動をすることなく、あなたの戒め通り生きていくことができますように。

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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一つのコメント


  1. まさ より:

    amenです。
    変わらなければならないのは。いつの時代も人間像の方です。
    み言葉には、移り行きも、はやりもなく、唯一の真理だからです。

    真理を見えなくさせるのが、世的価値観、私たちがよく言葉にする、普通、、常識、などですね。

    神様は私たちの常識をはるかに越えた、つまり、肉的には非常識?言葉にはめられない方です。

    それが神の国の価値観です。
    み言葉を味わい、私の経験や知識や思考など、かなぐり捨てて、神の国の価値観を、地で生きるのは、勇気がいります。

    特にイエス様や弟子がそうであったように、気が狂ってるとも、人に言われることもあるでしょう。

    しかし、永遠の永遠なるお方の前に、まっすぐに、神の国を選べる幸いな、真の礼拝者でありたいです。

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