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■S:今日の聖書の言葉
★創世記22章1-2節(創世記21章)

これらの出来事の後、 神はアブラハムを試練に会わせられた。 神は彼に、 「アブラハムよ」と呼びかけられると、 彼は、 「はい。 ここにおります」と答えた。
神は仰せられた。 「あなたの子、 あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、 モリヤの地に行きなさい。 そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、 全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。 」

■O:今日のコラム
創世記22章は、天の父とイエス様が共に十字架への道を歩む道のりを映し出しているように見えます。エデンの園で失われた神様との関係をなんとかして回復しようとする神様の人類への救済の愛と決してあきらめることのない情熱を見ることができます。

【1】聖めー神以外のものとの分離
信仰とは神との結合です。そのためには私たちの内にある神様に喜ばれない部分を切り離さければなりません。アブラハムの人生においてもそのような道を辿っているのを見ることが出来ます。
(1)国を出て親族と別れ、父の家を離れた(創世記12:1)
(2)子どものいなかったアブラ(ハ)ムが実子のように愛したロトとの別れ(創世記13:14)
(3)割礼を受け、肉の性質を切り捨てた(創世記17:9-10)
(4)肉の子、イシュマエルをも去らせた(創世記21:8-14)
これらの決別を経たアブラハムに対して、22章の1節は「これらの出来事の後」と書かれています。これからアブラハムの人生にとって、どれも身を引き裂かれるようなつらい経験だったと思いますが、これらの出来事が簡単に思えるほどの試練が始まるということを指し示しています。つまり、愛するイサクを主に捧げるということです。

ここで、全てを捨てて神様の声に従うアブラハムの信仰の姿を見ることができます。イエス様はこのように言われます。

「また、 わたしの名のために、 家、 兄弟、 姉妹、 父、 母、 子、 あるいは畑を捨てた者はすべて、 その幾倍もを受け、 また永遠のいのちを受け継ぎます。」(マタイ19:29)

私たちが手放してきたものに対して後悔があるかもしれません。しかし、それが主の導きだったなら、それはみなさんが主の御声に従ったという証拠であり、永遠の命を受け継ぐことにつながります。

自分の肉から来る性質を全て主に捧げること、これが聖別です。人生の中で何かを取られ続けられていると考えるなら、それは主に愛されているという証拠です。主は私たちの手の中にある神以外のものをひとつひとつ手放すよう導いてくださいます。それがキリストの似姿へと変えられていく課程です。

【2】ご自分を顕して下さる神様
アブラハムはなぜ、愛するイサクを捧げることが出来たのでしょうか。それは、今までアブラハムが神様とともに歩み、神様がどのようなお方かを人生の経験を通して知っていたからでしょう。
神であられる主は、アブラハムの人生で最大の試練をくだされるまで、ご自分を様々な形でアブラハムに示してくださっています。
(1)天地の主なるいと高き神(創世記14:21)
(2)全能の神(創世記17:1)
(3)永遠の神(創世記21:33)
神はこれほどまでにアブラハムにご自分を示されたからこそ、アブラハムは「アドナイ・イルエ」の神を信じ切ることができたのです。

私たちは神様とどのように歩んできているでしょうか。神様はみなさんにご自分をどのような形で顕れてくださっているでしょうか。今まで私たちを守り、愛し、導いてくださった神様はこれからなおも私たちを守り、愛し、導いてくださる間違いのないお方です。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、 わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。 」(イザヤ46:4)

【3】復活の主を信じる
イサクはアブラハムが主の約束を信じてから25年間待ち望んで与えられた大切な子どもです。アブラハムとサラにとって、イサクは神の約束の成就であり、両親の期待はすべてイサクにかかっていました。
もしイサクを失うなら、彼らの財産、生涯、希望、すべてを失い、神の契約までも無効に帰してしまうと考えたかもしれません。

それでもなお、アブラハムは主を信じきったのです。
そこには、「たとえ我が子が死んでも、主の命令に従ったのだから主が責任を取って下さる。必ず我が子を復活させて下さる。」という確信があったのです。

「信仰によって、 アブラハムは、 試みられたときイサクをささげました。 彼は約束を与えられていましたが、 自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、 「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、 彼は、 神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、 と考えました。 それで彼は、 死者の中からイサクを取り戻したのです。 これは型です。」(ヘブル11:17-19)

みなさんは復活の主を信じているでしょうか。主の導きに従って手放したのであれば、主が必ずもっと良い物を手に握らせて下さるという信仰があるでしょうか。

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、 わたしのためにいのちを失う者は、 それを見いだすのです。 人は、 たとい全世界を手に入れても、 まことのいのちを損じたら、 何の得がありましょう。 そのいのちを買い戻すのには、 人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26)

【4】三日目
創世記22:4にはこのように書かれています。

「三日目に、 アブラハムが目を上げると、 その場所がはるかかなたに見えた。」

アブラハムたちが住んでいたベエル・シェバからモリヤの山までは三日の道のりがあったそうです。三日間、父と息子はひたすらにモリヤの山を目指して共に歩み続けました。
モリヤの「モリ」は顕現という意味があり、「ヤ」は神様という意味です。つまり、モリヤの山とは神の顕現という意味になります。この山でダビデは罪を犯した時にいけにえを捧げ、後にここに神殿が建てられ、神の民の礼拝の中心となりました。親子はここを目指しひたすらに共にあるき続けました。
この間、アブラハムは様々なことを考えたでしょう。心が揺らいだと思います。時には絶望しかけたのではないかと思います。しかし、そのような中でアブラハムは三日目にはるかかなたに見えるモリヤの山を見たのです。
アブラハムの心が決まり、覚悟した時に見上げたのは神の顕現といわれる山でした。

わたしたちは何を見て歩んでいるのでしょうか。絶望した時、希望を失いそうになった時、あまりにも周りの現実に目を向けすぎていないでしょうか。私たちが主を信頼し、決心した時に見るのは十字架です。

「信仰の創始者であり、 完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。 イエスは、 ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、 はずかしめをものともせずに十字架を忍び、 神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)

【5】最高の物を捧げる
神への礼拝は最上の物を捧げなければなりません。アベルは最高の物を主に捧げましたが、カインはそうではありませんでした。その結果、カインの系図は神の系図から消されてしまいます。
アブラハムはここで、彼の最も大切な自分の子どものいのちをささげるという場面に臨んでいます。アブラハムにとって、これ以上に大切なものはありませんでした。
アブラハムが愛していないものを捧げても、神様はそんなに喜ばれないと思います。最も愛し、大切にしているものを主のみことばに従うゆえに捧げるのであれば、神の喜びはどれほどのものでしょうか。それが礼拝です。

「そういうわけですから、 兄弟たち。 私は、 神のあわれみのゆえに、 あなたがたにお願いします。 あなたがたのからだを、 神に受け入れられる、 聖い、 生きた供え物としてささげなさい。 それこそ、 あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

イサクはアブラハムにとって、体の一部以上の存在だったに違いありません。それを捧げたのです。
自分の最も愛するものを捧げるのが礼拝であり、また偶像からの分離、つまり聖別ということです。

私たちは最高のものを神様に捧げ続けているでしょうか。自分のいらなくなったものを教会に持っていったりしていないでしょうか。神に捧げるのであれば新品の、しかも最上のものを捧げても足りないくらいなのではないでしょうか。
神様は捧げる心を見ておられます。最高のものを神様に捧げ続けましょう。

【6】誘惑から離れる
アブラハムは二人の召使をこの旅に同行させました。しかし、あるところで彼らにそこで待つよう命じ、それからは父と子二人だけで旅を続けます。
アブラハムは息子イサクを捧げる決心をしましたが、それは簡単なことではありませんでした。親しい召使が「ご主人、本当にイサクさんを捧げるおつもりですか?もう一度考え直されてみてはどうですか?」と聞かれることを恐れたのかもしれません。

「彼は私たちのところに来て、 パウロの帯を取り、 自分の両手と両足を縛って、 「『この帯の持ち主は、 エルサレムでユダヤ人に、 こんなふうに縛られ、 異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。 私たちはこれを聞いて、 土地の人たちといっしょになって、 パウロに、 エルサレムには上らないよう頼んだ。 するとパウロは、 「あなたがたは、 泣いたり、 私の心をくじいたりして、 いったい何をしているのですか。 私は、 主イエスの御名のためなら、 エルサレムで縛られることばかりでなく、 死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。」(使徒21:11-23)

神様が歩みなさいと言われた道を妨げるものに対して、私たちは時には距離を置く必要がある時があります。決心を変えてしまうもの、誘惑するものを遠ざけなければなりません。
みなさんは人の心を思っているでしょうか。それとも神の心を思っているでしょうか。神のみ心とは何かをいつもみことばの中から探り求め、祈っていきましょう。

【7】全き従順
イサクは三日の道のりを歩くことができたということは、幼い子どもでなかったと想像できます。それなので、いけにえを何も持たないが、捧げるための道具を持って歩いているということはどういうことかというのを理解できたのではないかと思います。
その道程で、父であるアブラハムも息子を捧げるという決心をし、イサクも自分自身が捧げられるんだという覚悟をしました。それでもアブラハムは神の声に従い通し、イサクは父アブラハムの声に従い通しました。

「自分を卑しくし、 死にまで従い、 実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:8)

アブラハムとイサクは十字架の道を歩みました。
そして、祭壇に息子を置き、刀を振り下ろそうとするその瞬間、神様は「アブラハム、アブラハム。」と、二回も、まるで緊急事態かのように名を呼びます。
本当に徹底的に神のことばに従い通すこの親子の信仰に神の心は動かされ、叫ばざるを得なかったのではないかと思います。

ラザロの姉のマリヤもまた、イエス様の心を動かすほどの信仰を持っていました。

「マリヤは、 イエスのおられた所に来て、 お目にかかると、 その足もとにひれ伏して言った。 「主よ。 もしここにいてくださったなら、 私の兄弟は死ななかったでしょうに。 」 そこでイエスは、 彼女が泣き、 彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、 霊の憤りを覚え、 心の動揺を感じて、 言われた。 「彼をどこに置きましたか。 」彼らはイエスに言った。 「主よ。 来てご覧ください。 」 イエスは涙を流された。」(ヨハネ11:32-35)

私たちも山を動かすほどのからし種の信仰をいただいています。それを働かせているでしょうか。神様の心を動かすほどの従順な態度を身につけることができるよう、祈り求めましょう。

アブラハムが独り子イサクを惜しまずに捧げる姿は人類の救済のために独り子イエス様を惜しみなく捧げる天の父のようです。

「神は、 実に、 そのひとり子をお与えになったほどに、 世を愛された。 それは御子を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

この愛に感謝しましょう。

【8】報い
捧げることには報いがあります。
創世記22章15節から19節で、アブラハムの祝福は増し加わります。

「それから【主】の使いは、 再び天からアブラハムを呼んで、 仰せられた。 「これは【主】の御告げである。 わたしは自分にかけて誓う。 あなたが、 このことをなし、 あなたの子、 あなたのひとり子を惜しまなかったから、 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、 あなたの子孫を、 空の星、 海辺の砂のように数多く増し加えよう。 そしてあなたの子孫は、 その敵の門を勝ち取るであろう。 あなたの子孫によって、 地のすべての国々は祝福を受けるようになる。 あなたがわたしの声に聞き従ったからである。 」 こうして、 アブラハムは、 若者たちのところに戻った。」

ここに四つの祝福を見ることができます。
(1)大いに祝福する
(2)子孫を増やす(天の星は霊的子孫、浜辺の砂は肉的な子孫)
(3)あなたの子孫が敵の門を勝ち取る(後に来られるイエス様の完全な勝利)
(4)子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。(御子イエスによって祝福を受ける)

私たちもこの祝福に預かるものとして、神の一方的な恵みを受けたものです。
これらを知るなら、神に感謝せざるを得ません。
日々の生活でこの永遠の報いに目を留め、感謝の生活を送りましょう。

■A:考えてみよう
それぞれの項目で「考えてみよう」を書きました。長い文章ですがじっくりと味わい、真剣に神様に伺ってみてください。そして、うけとったことを自分の手でノートに書き記しましょう。

■P:祈り
愛する天のお父さん、あなたの愛は私たち人間は決して全てを知ることが出来ないほど大きなものです。
みことばを通して、あなたの愛を知ることができるということは、なんという素晴らしいことでしょう。
アブラハムとイサクを通して、これほどまでに人類に対する神様の愛、あきらめない救済の情熱を教えてくださってありがとうございます。
この信仰を受け継ぐものとなります。あなたが来られるその時まで、後ろをふりかえること無く、十字架を見続けて信仰のレースを走りきります。そのための情熱と力も与えてください。
最愛なるイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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カテゴリー: マナメール

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