■S:今日の聖書の言葉

歴代誌 第二 12章12節(同11章)

★ このように、彼がへりくだったとき、主の怒りは彼の身を離れ、彼を徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったからである。

■O:今日のコラム

数週間前にイスラエルに行った時、そのツアーの中でダビデが逃亡生活中に一時期とどまっていたアドラムの洞穴に行きました。実際にその場所に行くと想像以上の狭さで、その洞穴の中に入る為には地をはって身を低くしなければなりませんでした。

そのダビデの通った道を辿る時、彼が主に愛される王としてイスラエルを正しく治める為に徹底的にへりくだりの道を通らされたのだ、という事を知る機会となりました。  

へりくだりは主の好意を受ける道です。
水が高い場所から低い場所へと流れる様に、へりくだる者の上に主の恵みと好意は豊かに注がれます。

今日の箇所でレハブアム王は主の御前に高ぶり、主の律法を捨て去り、イスラエルの国全体を不従順の道に導く事となりました。その結果、敵のおびただしい大軍勢がイスラエルに向かって攻めて来る事となりました。  

預言者シェマヤがレハブアム王の元に遣わされ「あなたがたが主を捨て去ったので、主もあなたがたを捨てる。」という事を伝えた時、レハブアム王と国のリーダー達はへりくだりの姿勢を主の前にとりました。  

主はそのへりくだりの姿を見て「彼らがへりくだったので彼らを滅ぼさない。彼らに救いを与えよう。」と言われました。しかし、それと同時に「ただし、彼らのしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである。」と言われました。  

私達は「赦し」と「刈り取り」の違いを知る必要があります。レハブアムがへりくだった時、主はユダの王国全体をあわれみ、その反逆の罪を赦されました。しかし、彼らが選んだ決断の結果、諸国の奴隷となるという結果は変える事無く実行されました。

主が心から愛されたダビデであっても、彼が罪を犯し悔い改めた時、ダビデを赦し彼への愛を変える事はありませんでしたが、しかし、その罪の結果の刈り取りはダビデとイスラエルの王国が負う事となったのです。

聖書には多くの信仰者の勝利と共に、彼らの多くの失敗も記されています。

私達は御言葉から学び、主の心を悟り、絶えずへりくだって父なる神様の心を実行して生きる事が出来ますように。

■A:考えてみよう

「聖霊様、今日も私の自我を砕き、父よあなたの心を教えて下さい。あなたの御心に徹底的に従う事が出来る様に私を導いて下さい。」と祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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